【釣りコラム】朝まずめの1時間が、好きすぎる。
釣れても、釣れなくても。あの時間だけは、なぜか特別だ。
目覚ましが鳴る前に、目が覚める。
釣り人なら、きっとわかるはずだ。前夜にセットした4時半のアラームが鳴り響く前に、体がひとりでに起きてしまうあの感覚。暗い天井を見上げながら、「今日の潮は、風は」と頭がぐるぐる動き始める。
なんとも不思議な体内時計だ。休日の寝坊はお手のものなのに、釣りの朝だけは別格。布団を蹴飛ばして、半分眠ったまま支度を始める。
まだ暗い駐車場で、エンジンをかける
現地に着くころ、空はまだ夜と朝のあいだにいる。街灯の光と、うっすら白みはじめた水平線。防波堤に立つと、昼間とはまるで違う空気が体を包む。湿っていて、少し冷たくて、潮のにおいが濃い。
この瞬間のために、早起きしてきたのだと気づく。
釣れるかどうかより先に、「この時間に来られてよかった」という満足感がある。
ロッドを握る手が少し震えるのは、寒さのせいだけじゃない。期待と、あの独特の静けさに体が反応しているのだ。
世界が動き始めるほんの1時間

朝まずめの面白さは、「変化のスピード」にある。15分ごとに、空の色が変わる。波の表情が変わる。鳥が動き始め、ベイトがざわめき、ルアーを引くたびに何かが違う気がしてくる。
昼間の釣りとは、密度がまるで違う。時間がゆっくりで、でも変化は速い。そのアンバランスさが、やめられない理由のひとつだと思う。
そしてたいてい、日が昇り切るころには「あー、もう終わったな」という感覚がやってくる。釣れていても、釣れていなくても。あの1時間のテンションは、もう戻らない。
釣れなくてもいい、は本当か

釣り人が「釣れなくてもいい、あの場所にいるだけで」と言うとき、半分は本当で半分は嘘だ。やっぱり釣れたい。でも、あとから思い返すと、釣れなかった朝まずめもちゃんと記憶に残っている。
霧がかかっていた朝。風が強くてラインがぶれた朝。仲間と無言で並んで、ただルアーを投げ続けた朝。どれもぼんやり、でも確かに残っている。
魚がいなくても、海はそこにある。それだけで、早起きした価値はある。…たぶん。
おにぎりが、リセットしてくれる

朝まずめが終わってしばらくたつと、腹が減る。
昔はコンビニに寄って、おにぎりとゆで卵を買っていた。でも今は、自分で握ってきたおにぎりだ。週末に子どもを連れて出かけるとき、昼ごはんのおにぎりを握るのがいつの間にか習慣になった。だったら朝の分も一緒に、と自然にそうなった。それに、コンビニに寄る時間がもったいないとも思うようになった。
海を背にして、冷めたおにぎりをひとつ食べる。
良い朝だった日も、何もなかった朝も、このひと口が一回フラットにしてくれる。釣れた興奮も、釣れなかった悔しさも、塩気のなかにすっと溶けていく。これだけは、いつだって変わらない。
次の朝まずめのために

家に帰って、タックルを洗って、シャワーを浴びると猛烈な眠気が来る。ソファに沈み込みながら、もう次のことを考えている。
「次はあのポイントに入ってみよう。潮回りは来週の火曜が良さそうだ。」
こうして釣り人は、またあの1時間のために生きていく。
夜明けを知っている者だけが、海の本音を聞ける。
作成日時: 2026年4月10日
カテゴリ: エッセイ・読み物
※ この記事はnoteより移行しました。元記事: https://note.com/fishing_extra/n/nc30b469d8e35